責任を持つということ

責任はそれぞれが持っているはず

★責任とはなんなんだろう。。

よく聞く言葉、「責任」。

責任感があるとか、行動に責任を持てとか、

本当に色々な場面で聞きますよね。

でも、私は思うんですよ。

責任ってなんだよって。

例えば、今生きているのは人間として責任を持っているからなのか、

今日明日、社会人らしく振舞うのはそのような立場からなのか。

責任とはどの時点でどこから生じているのでしょう。

正直、書き始めた時点で結論はわからないので、ダラダラすると思います。

ただの思考の過程です、、

 

★まあ学生時代でも振り返るか

小学生のときによく言われるのは、責任感が強い子供だね~

中学生のときによく言われるのは、責任感がでてきたね~

高校生のときによく言われるのは、責任をもって行動しなさい。

大学生のときによく言われるのは、全部自己責任だからね。

本当に聞き飽きてる。

僕が思うのは、

それぞれが責任って言葉を使うことの責任はあるのかということ。

自分の都合を考えた責任って、

他の人にとっての責任になっているのだろうか。

まず文句を言いたいことはそこである。

自分の価値観を人に押し付けるな。

 

★文句の後は、、

ただ、人から言われなくても

自分の行動に責任があるのかと振り返る。

まあ実際、自分の価値基準を押し付けても自分の行動には責任がないわけだ。

じゃあ責任あるように生きるにはどのようにすればいいのか。

責任が生じるところをまず考える。

なんで責任は生じる?

答えは簡単、他人と関わるからだ。

そういう意味では他人にさえ関わらなければ、自分しかいない世界では

取るべき責任もないのだろう。

他人と関わっていく中で、

自分と相手の立ち位置があり、

その立ち位置にいるための条件が責任じゃないかと思う。

例えば、ある部活の一部員ならば、

部活に迷惑がかからないようにふるまわなければならないし、

その部活の部長ならば、

部のリーダーとなるようなふるまいをしなければならないだろう。

じゃあどうして、責任ある行動がとれないかといえば、

一つ目に

その立ち位置に居座っていることの重要さに気づいていないからだろう。

まあ、気づいたうえで、魅力がないから責任ある行動をとらない場合も考えられる。

もう一つに

責任ある行動のビジョンが自分と周りでずれている場合が考えられる。

さっきの部長の例でいえば、

全員が納得するように話し合いを進めていくのか、

あるものを得るために部員からの批判を受けてでも決断するのか。

まあどっちにしろ責任取ってる行動とはいえるのだろう。

 

★結論かなぁ

結局、すべての人に責任取る行動なんてできるはずがない。

ある程度の人には迷惑をかけるし、嫌な思いさせるし、

批判もたくさん受けなければならない。

だから、大事なことは、

どの人に自分の立場を認めてもらいたいかをはっきりとすることだ。

別にそれは自分だっていいのだろう。

自分が自分であることを認められないというならそれでもよい。

ただ、ほかの人のぶんはよくばってはいけない。

必ず責任は立場によってついてくる。

もう一度言うが、大事なのは誰に対して責任を持つかなのだ。

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